温泉に行こう | THE ROMATIC WARRIOR ~ 名探偵のいる風景 ~

温泉に行こう

 温泉旅行になど家族とですら数えるほどしか行ったことのない僕は、当初すぐ見つかるものだと思い込んでいた。しかし、調べてみるといろんなタイプがあるものでどこから手をつければいいかまったくわからない。そもそも御手洗の言う日本風の温泉宿というのが大まか過ぎるのだ。僕の気に入ったところなら何処でも良いと思ってくれるなら非常に有難いのだが、下手な宿を取ろうものなら、散々嫌味を言われて楽しい旅行も楽しくなくなってしまうだろう。僕は今更ではあるが、事の重大さに気付いたのだった。

 しかし、だからといって悩んでいても仕方が無いのだ。御手洗が帰ってくる期日も近い。僕は早速、不慣れなインターネットを駆使して温泉探しを始めた。

 最初に思い当たったのは「ロシア幽霊軍艦事件」でお世話になった、箱根の富士屋ホテルだ。富士屋なら登録有形文化財に指定されているだけに昭和初期の趣や、老舗ならではの風情もある。今ならホタルが庭園を飛ぶ様も見られるというのだから、僕の中ではここが一番の候補になった。

書店を渡り歩き、温泉ガイドなるものを捲りながら考えた結果、伊豆・箱根あたりが妥当だろうと思う。他にもいくつかの候補を出して、御手洗に聞いてみることにした。


 案の定、というか御手洗は僕の思っていたものと違うことを考えていた。まず一番に出たのが手頃な宿ということ。富士屋は好きだが、その点は該当しないのでまた今度ということになった。次が駅から近いこと。僕が「秘湯!湯けむりの閑静な宿」みたいなのを見せると

「石岡君が温泉好きなのはわかった。自然の中、混浴で女性と仲良くなりたいのもわかった。ただねぇ東京から2時間。乗り継いで1時間。最寄り駅からタクシーで50分というのはありえないだろう」

雰囲気の良い温泉だと思っただけだったのだが、タクシーで50分は確かにかなりの山奥だ。と、それよりも混浴であることは今聞いて初めて知ったぐらいだ。

「ちょっとまってくれ御手洗、僕はそんなこと考えて・・・」

「はいはい」

「御手洗ーーー」

その後の言い分から、彼は駅から10分圏内じゃなくては嫌なようだというのがわかった。そして最後に、御手洗が譲れないとしたのが、朝夕の食事付きであることだった。

「素泊まりだと良い温泉宿が格安で泊れるんだけど」

と、それとなく聞いてみたのだが良い返事をしない。しつこく聞いたら食事処が周囲にないかもしれないじゃないかと言っていた。箱根あたりならそんなわけないだろうと思ったのだがそれは言わないでおいた。

 僕が選んだものはここがダメだとか、ここが嫌だという理由で全滅した。人が仕事の合間を縫って探したものを一言で片付けてしまう。結局決まらず、君が決めてくれと騒いだら最初のでいいんじゃないかと言い出した。

「最初のって・・・富士屋のこと?」

「違う違う、なんだっけアレ。石岡君が高い高いと言うから安いところ」

「うー、これのことかな?」

「それだ。そこでいいよ」

急に言われても、今度は僕の気持ちが付いていかない。

「え、あの旅館でいいのか?」

「いいよ。だからこの話はこれで終わり!」

電話口の向こうで、御手洗がウンザリした顔をしたあと、両手を広げてぼくに背を向ける姿が見えた。もしここに居たら、次は「喉が渇いたな。君もそう思わないか石岡君」と言うのだろう。

何となく僕はすっきりしない気持ちだったので、もう少し考えさせてくれとだけ言った。


著者: 島田 荘司
タイトル: ロシア幽霊軍艦事件