長崎ノスタルジー | THE ROMATIC WARRIOR ~ 名探偵のいる風景 ~

長崎ノスタルジー

桜の季節になって、1年は早いものだと気付く。


以前懇意にしていた会社から離れた僕は、暫く休みたいと思っている。

ふと出来たこの時間を何に費やすかと迷ったが、結局何もせずに終わりそうな勢いであった。

そのような折、田舎の祖母の具合があまりよくないというので

急遽私が行くこととなり、着るものもとりあえず、僕は長崎行きの航空チケットを持って出かけたのだった。


長崎という場所には小学校の高学年以来、一度も行っていない。

私はどうもあの土地や空気の中に、どこか遠い暗い過去を感じてしまい苦手だった。

しかし久しぶりに行って見ると、街並みもすっかり変わっていて何だか無性に懐かしいような

それでいて寂しい気持ちに襲われた。

祖母の家の周りは、私がよく遊んだ頃は田んぼと川に囲まれた記憶しかなかったのだが、

今は随分開けて、しっかり道路も舗装されていた。近々裏の山は開発の波に煽られ、

アミューズメントパークを兼ねた住宅街へと変わるようだ。


祖母は僕が来たことを大層喜んでくれて、食べ切れないほどの料理を食べさせてくれた。

嬉しい反面、本気で死ぬかと思った。尋ねた次の日は、市内観光をタクシー貸切って回って見る。

このタクシーの運転手がガイドをしてくれたのだが、かなりの凄腕でバスガイドさんよりも詳しく

名所の話を一緒に回って教えてくれた。孔子廟と麒麟の話、大浦天主堂、グラバー邸と

たまき婦人、蝶々婦人の話。グラバー園に隠された3つのハート石の話。

僕はただ感心するばかりで、何時の間にかすっかり長崎に詳しくなったような気持ちになった。


市内観光が終わった後,長崎の中華街という場所で昼食を取った。

ちゃんぽんと皿うどんを買い、お土産を買って、バスでまた家まで帰った。


3泊4日だったのであとは家で過ごし、

横浜に帰る前に一時間ほど余裕が出来たので周辺を散策することにした。


子供の頃遊んだグランドや川、近くの図書館を見る。

親戚の家のほうの山道をぶらぶらと歩いて周った。


もっと広かった世界が、ずいぶんこじんまりしている。

一山向こうの先祖のお墓も、いまの僕にはすぐそこなのかも知れない。

お墓といえば、

まだ幼かったころに家族と墓参りに行ったとき

墓石の周りで遊んでいたら、小さなしゃれこうべがむき出しの雑草の中にあるのを見つけた事がある。

灰色のの空間に、浮き立つような真っ白い、小さいしゃれこうべが目に焼きついて

僕は電撃の恐怖を感じたのだった。

それから3日、そのことを口にも出せず、夢にうなされたりとずいぶん怖がった覚えがある。

最終的には、猫か小動物のものだろうと親たちは言っていたが、

それが僕の初めてみたしゃれこうべには違いなかった。


ただの骨だろう。と思われるだろうが

当時、夏休みで読んだ本がそういうしゃれこうべが出てくる怖い本だったのだ。

今はもう覚えていないが、確か遊び半分に墓場に行ったが原因で、しゃれこうべのために

墓場で(一生?)子守唄を歌い続けないと許さないぞというような内容だったか。

そのような内容だったと思う。


近所も、遊び場も、今ではずいぶん錆付いて見える。

昔はもっと大きなグランドだと思っていたのだが、今見ると普通の大きさだ。

確かに、幼少の記憶では蜃気楼の向こうに霞んで、グランドの端が見えないくらい広かったのだ。


ある炎天下の日、常々子供心に「端が無いわけあるか」と思っていたので

幼かった僕は、グランドを横切ることに決め歩いた事がある。

途中で振りかえり確認する。入り口のフェンスがギリギリ見える。

グランドの反対側は未だ見えない。

大体3/4ぐらいまで歩いたとき、僕はまだまだ続くグランドと

振りかえってもグランドしか見えない世界の中に居た。

急に怖くなって、僕は入り口に向かって走った。

走って走って、着いた所は何故か砂場で、入り口から30mぐらいずれていた。


その年は、それに始まり原爆資料館であったり、祖母の話であったりと

死にまつわる事柄が多くて、長崎=死の町のようなイメージが

自分に定着してしまい、寄り付かなくなった原因なのかもしれない。


町が小さくなったのか

僕が大きくなったのか


もし君がこの場に居たら、この寂しさをノスタルジーだと

笑い合うことが出来るだろう。

長崎を後にし、横浜に戻る。


帰りの飛行機の中で、君と一緒に来る事があれば今度は僕が案内しようと思った。


その一方で、

大人になった僕には

かの地は僕の居場所ではないと

感じ始めていた。